2023年7月

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承久の乱

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は、時の執権 北条義時を追討しようとしますが、北条義時が勝利を納めました。天皇から武士に政権が移行した日本史のターニングポイントでしたが、天皇家はそれ以降も血統を守り、のちの日本の歴史の転換点において大きな役割を果たしました。

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家庭連合信者に人権はないのか

昨年来の家庭連合に対する、マスコミ、政治家、行政の人権侵害に対する意見をまとめた本です。民主主義を掲げる日本において、基本的な人権が侵害されているにも関わらず、このような言論が大手メディアには全く取り上げられないのは、問題です。

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SBS『統一教会(統一協会)信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷

韓国大手テレビ局SBSの報道番組が 、2010年に、#拉致監禁 を報じた映像がYoutubeにアップされています。
SBSは、日本まで来て、直接資料に基づいて取材しています。日本の大手メディアも、#拉致監禁 という犯罪行為については、きちんと取材し、報道するべきではないでしょうか。

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脱会説得による悲劇(9) 反対派の悪辣な手法 「公認教会を襲撃し、信者を連れ去った反対派の悪辣な手口」T・Hさんの体験

T・Hさんは、1997年6月、家庭連合の公認教会が家族他20名ほどの反対派によって襲撃され、拉致されました。膀胱炎になっても病院に行くこともできず、衰弱しました。背後にはキリスト教神戸真教会の高澤守牧師や、脱会屋の宮村峻氏がおり、拉致監禁を親の背後で指揮しました。

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脱会説得による悲劇(7) その時警察はどう動いたか④ 「監禁を2度も黙認した警察」M・Mさんの体験

M・Mさんは、1992年に、#拉致監禁 されました。背後に反対牧師がいて、密室で父に毎日殴るけるの暴力を受けました。警察官が来た時、私は「監禁されています」と騒ぎましたが、警察官は「家族だけで話し合うのが一番です」と言って帰ってしまいました。

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脱会説得による悲劇(6) その時警察はどう動いたか③「人権を無視した拉致監禁、許せない」M・Sさんの体験

M・Sさんは、1991年、広島で拉致監禁されました。仮病を使って病院に連れて行ってもらい、私は監禁されています。助けてください」と叫んで、警察が来ましたが、刑事は、「親が一緒にいて、何が監禁だ!あんたが家を空けた数年分、今度は家に居ろ!」と逆に怒鳴られ、私は再び監禁場所に戻されました。

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脱会説得による悲劇(5) その時警察はどう動いたか② 「3度の拉致体験―監禁行為に加担した警察官」K・Sさんの体験

K・Sさんは、3度も拉致監禁されました。監禁用マンションは南京錠とダイヤル式の鍵で施錠され、窓はベニヤ板でふさがれ、手足を建築用資材で縛られました。警察は監禁の現場を見ても、「親子の問題だ」「親に迷惑をかけるな」と言って、何もしませんでした。

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脱会説得による悲劇(4) その時警察はどう動いたか① 「拉致監禁事件に終止符を打つため、両親、牧師を告訴」Iさん夫妻の証言

1997年、ファミリーレストランでRさんが妹の誕生日祝いをして駐車場に出たところ、暗闇から複数の人に襲われワンボックスカーに押し込まれ、監禁されました。警察は「ご両親が一緒なら何もできない」と取り上げず、Rさんと夫のTさんは刑事告訴しましたが、嫌疑不十分で不起訴となりました。

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脱会説得による悲劇(3) 痛哭と絶望を越えて③ 「逆境を越えて得た親子の絆」O・Yさんの体験

O・Yさんは、1988年の祝福結婚式に参加の後、1990年5月に拉致監禁されました。自殺も考えましたが必死の祈りの中で神様の啓示を受けて奇跡的に脱出。親も考えを変え、「最後には親は子を信じるものだ」と言って、披露宴をして無事入籍することができました。

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脱会説得による悲劇(2) 痛哭と絶望を越えて② 「残された心の傷」S・Tさんの体験

S・Tさんは、実家に帰ったときに拉致され、京都のマンションで69日間監禁され、その後、日本基督教団・京都聖徒教会で軟禁され、107日後に脱出しました。
その後、ご主人もS・Tさんもうつ病になり、親子関係もズタズタに切り裂かれてしまいました。

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