原理講論

家庭連合の、理論的な根拠となる、統一原理を解説した本です。
この一年で、旧約聖書、新約聖書、コーラン、論語と、いろいろな宗教の経典を読んできましたが、比較すると、それぞれ特徴があって、興味深いです。

原理講論は、文鮮明師が書いた原理解説をもとに、劉孝元氏が書いて、1966年に発刊、日本語版も1967年に発刊されました。
この本は、キリスト教徒を対象に書かれています。統一教会の名前の元となった、世界基督教統一神霊協会も、キリスト教を統一するという意味です。神が存在することは大前提となっていて、聖書を論拠としています。従い、キリスト教の知識がない人が読むと、何が書いてあるのか、さっぱりわからないことになります。

統一原理が提起するのは、「全知全能の神が実在するのであれば、なぜ地上で争いが絶えず、不幸が絶えないのか」、という問題です。
この問いに対する答えができないので、人々は、神を信じない無神論か、答えは神しか分からないという不可知論に、逃げ込むしかなかったのです。

統一原理では、神は絶対的存在であるが、愛は相対的だと説きます。
愛は、たった一人で実現することはできません。必ず愛する相手が必要です。
その原理は、神においても同様であって、神も愛する対象が必要でした。それが、人間を創造した動機なのです。

原理講論には書いていないのですが、神と人間は、親子の関係である、と文鮮明師は説いています。それが、統一原理の、最も大切な教理ではないかと、私は思います。

親は、子供のことを常に念じ、持っている全てのものを与えたいと思います。しかし、子供は自分の考えを持ち、主体性を持っています。その主体性を、親は否定することはできません。たとえ、子供が道をはずれ、不幸な結果になると分かっていても、親はどうすることもできません。
もし、親子の信頼関係が崩れなければ、子供は親を信頼し、道を外れることはないでしょう。しかし、第三者が介入し、子供に対して、親への信頼を損ねるような言葉をささやき、働きかけたら、親子の信頼関係は、損なわれてしまうかもしれません。
しかし、親は、たとえ子供が離れていってしまっても、戻ってくるまで、何年でも待ち続けるのです。その変わらない愛が、親の愛の絶対性であって、それは神が人類に対する愛から受け継いだものです。

統一原理は、神の創造の理想の姿(創造原理)、人間が神から離れた理由(堕落論)、神が人類を救うための摂理(復帰原理)の、3つの柱から成り立っています。
部分的に切り取ると、冒頭書いた通り、理解が難しい内容ですが、親子という心情的な観点で読むと、とても整合性がとれた、理論体系であることが、わかります。

また、統一原理の理念は、共産主義の対極にあります。共産主義は、神という絶対者の存在を否定し、愛と心情による家庭・社会の発展を否定し、霊界の存在を否定します。なぜ、家庭連合が、共産主義は間違いであると主張するのか、それは稿を改めて書きたいと思います。