脱会説得による悲劇(2) 痛哭と絶望を越えて② 「残された心の傷」S・Tさんの体験

家庭連合の信者に対する事例紹介動画の第2回です。

私は1992年8月の「3万双国際合同祝福結婚式」で結婚。現在(2009年)、3人の子供がいます。
私は2006年8月、うつ病になりました。子育ても家事もできなくなり、真っ暗なトンネルに入ったような心境を味わいました。
「この思いは…どこかで味わったことがある…」
そして13年前、体験した拉致監禁を思い出したのです。忘れようとしてきた過去に、ようやく向かい合い始めたのです。実は拉致監禁を体験した私だけでなく、当時婚約者だった主人も深い心の傷を受けていたのです。私の体験をお話します。

【監禁開始】
1993年12月23日、家族から散髪を頼まれ、実家に帰ったときに拉致。京都のマンションで69日間監禁され、その後、日本イエス・キリスト教団・京都聖徒教会で軟禁され38日間。拉致された107日後に解放されました。
両親は、あるキリスト教会で京都聖徒教会の船田武雄牧師を紹介され、「相談会」に参加。そこで指導を受け拉致監禁を計画するようになったと言います。

拉致された日。私は家族の散髪を終えて帰ろうとすると、両親が「駅まで送る」と言って一緒に家を出ました。
少し歩くと、突然、サングラスの複数の男女が取り囲み、私は大声で助けを求めましたが、強引に車に押し込められたのです。車の前に、別の車が1台。後ろにも1台、車があり、トランシーバーで連絡を取り合って走り出しました。なんと、私が押し込まれた車の運転席に叔父が、助手席には父がいたのです。妹と母は私の腕をしっかり握っていました。
パニックになった私に、父は「すまん。これしか方法がなかったんや」と何度も謝りました。
部屋にも厳重に鍵がつけられてありました。無理やり連れてこられたショックは体が覚えており、恐怖でした。
逃げないように常に見張られ、精神的な圧迫で苦痛を感じる日々が始まったのです。
両親は「話し合いをしたい」「統一教会に詳しい牧師の話を聞いて欲しい」と詰めより…
話しは平行線でした。結局、「話し合い」というのは建前で、家庭連合の信仰を棄てさせるために監禁したことは明白でした。

私は「監禁から逃げよう」と、3日目の早朝4時ごろ、ベランダの窓の鍵をこじ開けました。見ると、そこは8階でした。
降りることもできず、私は2軒先の家まで塀を飛び越えて渡り、朝、その家の人が起きてきたら助けてもらおうと思いました。ところが両親に見つかって部屋に戻りました。

数日後元信者と船田牧師がやってきて、「原理講論は間違いだ」と言って批判。
私はどうすればいいのか神様に祈るばかりでした。
一方的に批判を聞かされる私は、笑えばいいのか、泣けばいいのか。
親の前で、牧師の前で、反論してもいいのか、どう接すればいいのかさえも分からず、悩みました。
何を言っても、それを受け入れてくれる人はいません。
牧師は、家庭連合の信仰を持つ人は「狂った者」「きちがいだ」としか思っていませんでした。

ある日のこと。レポート用紙の中から、監禁の計画が書いてある紙を見つけました。
私をどのようにマンションに連れて行くか。
マンションでの生活、注意事項、親が取るべき態度。
細かい指導が書き込まれてあり、私が「脱会届」を出した後は、リハビリ生活が必要であることまで書かれてありました。
両親が牧師の指導を受けてそれに従っているのが分かりました。私はショックを受けました。脱会するまで、監禁から解放されないことを思い知ったのです。

牧師は2週間、毎日マンションに来て、統一原理批判や文鮮明師の路程の批判をしました。私は心の中で、「人が神様から受けた啓示に対し、他人がそれを嘘だと言い切れるのか」と思い、本人と神様との間でしかわからない出来事なのに、文師が嘘をついているかのように決めつけるのです。
私は、そんな牧師を見て「嘘をつかせてここに連れてこさせたのは誰だ。それを指導したのは、あなたではないか」と思いました。
しかし、ここから出るには「偽装脱会しかない」と、反抗せず、ただただ忍耐する日を過ごしました。
両親はいつも牧師に報告しており、私は悔しく、その思いをどこにもぶつけることができず、夜は布団を何度も噛んで泣きました。

【偽装脱会】
監禁から解放されるため「今日こそ信仰をやめると言おう」と思いながら言い出せません。「うまく偽装脱会できるだろうか」と不安になるのです。
40日がたあった朝方、夢を見ました。韓鶴子女史が真っ赤なチマチョゴリを着て、大きなおなかをし、しんどそうに座っておられました。隣には文鮮明師がおり、「今回は難産なんだ」とおっしゃったのです。
その夢で、私はこれを超えなければならないと決心しました。その夜、元信者が「どんな気持ちですか?」と尋ねたので、「今、言わなければ」と思い「家庭連合から離れたい」と言えたのです。
しかし「脱会宣言をすれば、次どうなるのか」と不安で、本当の思いは誰にも打ち明けられません。

船田牧師は、文師を中傷する批判書を持ってきました。心は揺れ動き、どれほど神様に祈ったか分かりません。神様が願う“真実な道”を歩みたいと願って、その夜、布団の中で、「神様、あなたの前に真実に生きた方はどなたですか?あなたのため最も涙を流された方はどなたですか?」と真剣に尋ねました。

再び夢を見ました。文師の背中を私が流している夢でした。
背中は拷問で、傷だらけになっていました。
迫害の中、文師は屈辱と痛みを越えておられたのです。
マンションでの孤独な闘い。信仰の幼い私を、神様は夢を通して守ってくださったのです。
「根気強く、忍耐して頑張るんだよ」と励ましてくださっていると思いました。
そして、たくさんの兄弟姉妹が夢に現れました。彼らが私のために祈っているのを実感しました。

両親は、2ケ月を過ぎるとイライラし始め、母は「帰りたい」と泣きました。父が「何を泣いてるんや。この問題で泣いている親がいっぱいいるんや!」と迫り、母は「わかってる!Tが統一教会の間違いが分かるまで、ここを出ない」と決意し直すのです。
そんな両親を見て、牧師から一方的な情報を刷り込まれ、精神的苦痛を負いながらも、娘のための懸命に行動している姿に心が痛みました。
マンションの中は地獄でした。私は心身ともに限界に達し、親子なのに親を、姉妹なのに妹を信じられず、本音で話せない緊張の中、気が変になりそうでした。
私はついに吐き気や頭痛、指先にしびれが出てきて、心身共に傷つきました。
外の空気を吸うこともできず、食欲も体力もなく、急激に痩せ、監禁前46キロあった体重は40キロに。母が「(京都聖徒)教会の人が、Tさんは何を考えているかわからないと言っている。自分の気持ちをはっきり言いなさい」と言いました。
しかし正直に話せば「監禁」は延々と続きます。解放されるには「偽装脱会」しかないのです。とても苦しみましたが、船田牧師の許可が出て、69日目にマンションを出ました。

船田牧師はマンションで、「統一教会は一方的な教え込みをし、洗脳している」、「文鮮明が人を殺せ!と命令すれば、平気で人を殺してしまう恐ろしいテロ集団だ」と、そんな事実はないのに言っていました。
牧師こそ両親に一方的な情報を与え、家庭連合への憎しみを刷り込み“こんなことしたくない”と思う両親に、「それは子供のため。そうするしか方法がない」と指導し、拉致監禁を行わせているのです。
子どもを心配する親の心を利用し、不安をあおって監禁するのは犯罪です。私たち家族がマンションで苦しんでいる間、実は、婚約中の主人も、大変な苦しみを味わっていたのです。
私の母から、「Tと親子の話し合いをします」という手紙を受けとり、突然、私の居場所さえわからない状況になった主人は苦しみ、心に深い傷を負ったのです。

【京都聖徒教会での軟禁生活】
マンションを出て京都聖徒教会に移り、「リハビリ」と称する、軟禁された監視生活が始まりました。船田牧師は「脱会すると、今まで真実だと思っていたものが否定され、絶望して深い心の傷となる。だから統一原理の間違いをしっかり理解しなければ、普通の生活ができず、社会復帰もできない。そのため聖書を学ばなければならない」とし、京都聖徒教会で「リハビリ生活」をさせるのです。
船田牧師は「信仰は自由だから強制はしない」と語る反面、「キリスト教を信仰したらいい」と言いました。強制脱会を迫った牧師が、こんな矛盾したことを述べるため、私は「ここに真理はない」と感じました。
家族も疲れ切り、それでも父は、母と私がマンションを出る3日前、仕事に行き始めました。

京都聖徒教会の生活は、私以外、リハビリ中の人が5人。元信者で、監禁場所に行き家庭連合信者の脱会説得をする人が3人。奉仕者の女性が一人いました。
そして船田牧師の家族も暮らしていました。牧師の家族以外は、みんなで一緒に寝泊まりし、食事は食材を買って自分たちで作った食べます。買い物で、外に出るのは許されますが、常に母が付き添い、元信者も一緒にいるため逃げ出すのは困難です。リハビリ生活の1日目は、妹も一緒に寝泊まりしましたが、妹は「こんな生活はできない」と家に帰り、私と母だけ残りました。
朝6時から早天祈祷会(聖書の学び)があり、その後、祈禱会、聖書勉強会、伝道集会、賛美集会、家庭集会があり、日曜日は礼拝、午後1時から家庭連合問題の「相談会」。月半ば、家庭連合問題の「対策集会」に出ました。

母は、トイレにも、洗面するときも付き添いました。夜寝るとき、ドア近くに信者が寝て、私は「逃げるのではないか」との警戒心から、ドアから遠いところに寝るように言われました。
母が泣いていたので、理由を聞くと「もう少し子供のことを考えて行動してください」と注意されたとのこと。母成りに努力しているのに、そのように言われたことがつらかったようです。

リハビリ生活から1週間後、「脱会届」を書くように言われました。脱会した人が書いた「脱会届」のコピーを見せられ、「このように書いたらよい」と指導されて書かされました。
リハビリ生活をしているとき、実は、主人が京都聖徒教会を訪ねてきていたことを、後から聞いて知りました。
主人は、「Tさんは会いたくないと言っている」と言われ、追い返されたのです。主人は東京から私を訪ねてきたのに、私に合う事さえもできず、どれほど傷ついたでしょうか。私は、彼が訪ねてきたことすら知らされなかったのです。

20日が過ぎたころ、母が体調を崩しました。京都聖徒教会の人が、「Tさんもしっかりしてきたので大丈夫でしょう」と言い、母は自宅に帰りました。
母のいる間は、お風呂は船田牧師の家のお風呂に入り、洗濯は母がコインランドリーでする状況でした。
母が家に帰ってから状況が変化しました。一人での外出は許可されませんでしたが、誰かと一緒なら戦闘やコインランドリーに行けるようになったのです。

【苦悩…そして脱出】
私は、私のためを思い、両親や妹が犠牲となって行動したことを思えば、家庭連合に帰ることが苦しくなり、私は「隠れキリシタンのようにしているしかないのか?」と、頭が変になりそうでした。
しかし「家庭連合の教えを通して救いを感じたことは、否定できない」、また「主人はどんなに苦しんでいるだろう」と思うと混沌とし、苦しみ続けました。
「自分の気持ちに正直に生きたい」と思いました。
牧師は「もう大丈夫」と思っているようで、拉致監禁された人の所に一緒に訪問しました。
これから拉致監禁する予定の親が教会に来ているときは、「あなたの体験を話してほしい」と言われ、話しました。しかし、私は自分の本心を偽り、願ってもいない行動をするのがたまらなく苦しくて、「やはりここを出なければ」と思いました。
必死に祈りました。

すると、京都聖徒教会の壁に、聖句を見つけました。
イザヤ書41章13節
あなたの神、主なるわたしは
あなたの右の手をとってあなたに言う、
恐れてはならない、わたしはあなたを助ける

神様の声だと、涙が溢れました。私は自分の心を偽らず、正直に生きたい。
そう思って、神様の導きを信じて脱走を決意。
拉致されて107日目、束縛された”異常な環境“からやっと逃げ出したのです。

【残された心の傷】
その後、私を助けて下さったご家庭にお世話になり、少しずつ心が癒されていく日々を過ごしました。
私と主人は、そんな中で家庭を出発し、神様に感謝しました。
純粋だった主人は、私が拉致されて以来、極度の人間不信に陥り、人と会うことを嫌うようになりました。主人の両親は、私たちの結婚を喜び、披露宴も考えていました。ところが、私の両親が拉致の話を主人の両親に持ちかけたため、実現することもなく、隠れるようにして2人の生活が始まったのです。

主人は、私の両親を恨みました。拉致監禁で、どれほど心を踏みにじられたたか分かりません。
私が少しでも両親の話をすると、主人の顔の形相が変わりイライラし始め、持っていき場のない思いをぶつけるのです。
夜は熟睡できず、うなされ、とうとう主人はどうすることもできない思いを抱えて、うつ病になりました。
働くことができず、働いてもすぐやめてしまう。そんな自分を責め続け、苦しむのです。6年間、アリ地獄に入ったような日が続きました。そして2006年の夏、私もうつ病になりました。
主人は、今でも拉致の時の話をすると、怒りがこみあげて、形相が変わります。過去がフラッシュバックして、解けない怨みがわくのです。直接、拉致監禁をされなくても、周りの家族も苦しみ、心の傷を負うのです。

私は長い間、主人の痛みを十分に理解できず、私を責める主人を、私も責めました。
しかし、自分がうつ病になり、その苦しみと、拉致された時の苦しみが重なって、主人の気持ちを考えさせられました。
主人は、「自分の腹の底にある、あなたの親に侮辱された恨みが、あなたに対する怒りをさらに大きくする」と言いました。それを聞いたとき、これは私と親だけの問題ではないと深刻になり、まだ拉致監禁問題jが解決されていないのを実感したのです。
私は落ち込み、生きている値打ちもない気持ちになるときがあります。
自分が探し求めているものを求め続けて、近くの家庭教会につながり、今はひっそりと信仰しています。3人の子どもたちに恵まれ、子どもだけは神様を中心として育てたいと夫婦で願っています。

反対牧師は、家庭連合の信仰を失くすまで、自由を奪います。親の子どもを思う気持ちを利用し、「保護説得」という言葉を使いますが、完全に非人道的な拉致監禁です。
信者の自由意思を無視し「気が狂った者」のように扱い、最も信頼したい親から拉致監禁されるのですから、子どもの心はどれほど大きな傷を負うでしょうか。
親子関係をズタズタにし、修復するのにどれほど時間と気力が要るか分かりません。
拉致監禁は、絶対に許されない行為だと実感します。
直接拉致されてはいなくても、主人のように身近な人もショックで精神疾患を抱えるのです。
独善的な「正義感」から拉致監禁をし続ける反対牧師は、許しがたいです。
私の体験は、氷山の一角で、大変な方が他にもいます。