キリスト教の礼拝

私は数年前から、あるキリスト教会の礼拝に時々参加させて頂いています。
あるきっかけで、その教会の牧師と面識を持ち、礼拝に参加させて頂けないかとお聞きしたところ、私が家庭連合の信者であることをご存じの上で、ご許可を頂きました。
その教会の礼拝は、讃美歌をたくさん歌い、心霊を引き上げる、素晴らしいものです。説教では、聖句をいくつか取り上げて、その時代背景と共に、説明して下さいます。信仰の基本である、人間の罪や神の恵み、そして救いについて、とても深い内容をお話しされるのです。

家庭連合は、かつての「世界基督教統一神霊協会」という名前の通り、キリスト教の土台があって、教義が成り立っています。実際に、原理講論には旧約聖書や新約聖書の聖句がふんだんに引用されています。私は、家庭連合の研修会で最も心を惹かれたのが、イエス・キリストの生涯を説いた、「メシア論」でした。だから、聖書とイエス・キリストについては、いろいろ学びたいと思っています。

しかし、家庭連合だけで聖書やイエス・キリストについて、詳しく知ろうとしても限界があります。どうしても、文鮮明師や韓鶴子総裁の話が、中心になってしまうからです。やはり2000年にわたるキリスト教会の蓄積に勝るものはありません。だから、私にとって、キリスト教会の礼拝に参加させて頂くのは、学びの場としてとてもありがたいことです。

今日牧師に、家庭連合がいろいろ非難されているにも関わらず礼拝に参加させて頂けていることに、お礼を申し上げました。牧師は、教会に対してはいろいろ言われることもあるし、それはキリスト教会も同じですよ、と答えられました。
牧師の包容力のあるご対応に、心から感謝しています。宗教は、教義を越えてお互いにリスペクトすることが大切だと思います。私も、謙虚に、尊敬心を持って人に接するべきだと思いました。